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寺内孝のプロフィール


 英語教員のかたわら研究に従事。今日では英米の学者にも知られるようになっています。これについて
 は下記(『英国一周 鉄道 知的旅日記』で記した「はじめに」から転載) を参照してください。

 
所属学会
   ディケンズ・フェロウシップ日本支部
   日本英文学会中国四国支部
   日本ヴィクトリア朝文化研究学会

 滋賀県在住
 拙著は滋賀県草津市立図書館に寄贈してあります。関心のある方は図書館で借りて読んでください。
 私へメッセージを下さる方は ttakasia]gold.ocn.ne.jp ([a]は@に変えてください)へ。


はじめに――なぜイギリスか

 どんな人にも言えることだが、ぼくの場合も生きることにずいぶん悪戦苦闘してきた。
19? ? 年生れ、191年12月8日、太平洋戦争勃発。記憶は3才末ごろから始まり、
核心部分に赤紙、召集令状、出征軍人見送り、天皇陛下万歳、供出、防空壕、防空頭巾、
B
29、グラマン、ロッキード、空襲警報、1トン爆弾、焼夷弾、・・・。

 1945年8月15日無条件降伏。満州事変(1931年)に始まる15年戦争で
同胞死者310万人。国土は焦土、そして傷痍軍人、引き揚げ、復員、尋ね人の時間、
進駐軍、ジープ、チューインガム、パンパン、浮浪者、ルンペン、買出し電車、サツマイモ、
配給、ララ物資、クーポン券、ニコヨン・・・。サツマイモなんてものじゃない、イモのツル。
そしてナンバ粉、食用ガエル、亀、セリ、・・・。南方の戦地ではトカゲ、蛇、人肉・・・。

理性よりも感情、冷静よりも熱狂、熟考よりも衝動、客観よりも主観、和よりも戦に偏った
愚かな指導者たち(政官財、言論界の大多数)をいただいた国民はみじめなもの。かくして、
いまわが国、原爆ドームが世界遺産、かの国イギリスはウェストミンスター宮殿(国会議事堂)
がそれ。彼我の相違に、指導層の知性の落差を見てガクゼン。

 あのような生き地獄を母子3人で地を這うように生きた。日々の暮らしに事欠いたから
大学なんて別世界。高校?冗談じゃない。日々の暮らしに事欠いた、と言ったじゃないですか。
中学を終えることさえ、ふー、ふー、ふー。塗装工、旋盤工、失業、臨時工、・・・。現実社会の
寒風にふるえおののき一念発起、夜学へ。この語はもう死語に近づいているが懐かしい言葉だから
あえて使うことにしよう。そして臥薪嘗胆の末、英語教師になった。

  ぼくの夜学時代、先生たちは学者ぞろいだった。おおいに影響をうけていたから、ぼくも夜学に
就職し、勤めのかたわら英国の文学、宗教、社会、歴史の研究にのめりこんだ。論文を書き、
本もかいた。だが、どうももどかしい。わからないのだ、英国が。その1つが地理。地図を
広げてみるが、ロンドンのピカデリー、エディンバラ、リバプール、マンチェスター・・・、
いったいどこなの?というわけ。よし、行ってやろう、と。貧乏旅に出ることになった第1の動機。

ことわっておくが、元・高校教師の僕、自分の書き物に無駄を重ねてきたわけではない。フランス
の学者が「鷲の目」(your eagle eye)と、アメリカの学者が「鷹の目」(the eye of a hawk)と、
イギリスの学者が「真実の探求者」(a seeker after the truth)と、別のイギリスの学者が
「世界チャンピオン」(the world champion)と評してくれたのがその証。4人とも世界的に
知名な英文学者だ(注1)。

  第2は実践英語。今日までいったい何年間、NHKの英語ラジオ講座にくらいついてきたことか。
1冊350円ほどの『英会話入門』と『英会話上級』を今も毎月買いつづけ、放送を録音・編集し、
来る日も来る日も傾聴、丸暗記する。だが、ヒアリングはいまだにダメだし(50歳代半ばから
「難聴」というハンデもあるが)、それに発信の場がないから、いざのとき、英語がなかなか
口をついて出ない。実践のない英語学習なんて無力なもの。情けなくって、じれったくて。
何とかしなくちゃ、となり、この歳になったが実践の場を求めよう、と。いやこの歳でしか
出来なかったのだ(注2)。

第3は、紙の知識(教科書、書籍、新聞などからの知識)は多々あるが、これらはいわば
生命のない知識。これを、現実世界に張り合わせ、命を吹き込もう、と。

 第4は、英国の現実凝視。英国は日本の面積の約3分の2、人口は日本の約半分の6,021万人。
北海と太平洋に挟まれた小国でありながらかつて世界の覇者、今なお勢威は衰えない。しかも、
言語は世界語。繁栄の根っこに奴隷貿易と植民地政策があったわけだが、その英国、どんな国なの?
フィールド・ワークで実像に迫ってやろう、と。

 こういうわけで、何年もかけて資金を備蓄し、一ヶ月の貧乏旅にでることにした。ついでにいうが、
ぼくは酒、タバコ、パチンコ、マージャン、ゴルフ、賭け事など一切やらない。外食はしないし、
喫茶店さえほとんど入ったことがない。車の免許は持たないから車は買ったことがない。
備蓄はその結果。だから「ケチケチ貧乏旅」

ぼくのような年齢になると、一ヶ月間家を空けるには不安がある。自分自身は言うまでもなく、
係累のどこかで何かの不安・不都合をかかえているのが通例。その状況下で、「今」という好機をパッと
捉えることになった。イギリスでは失敗が無限に待ち受けているだろう。覚悟はできている。
青春のなかった僕には、今こそ青春、飛び出してやるぞ!


注1、‘your eagle eye’the world champion’ は拙論「二人の先哲」(『年報 第30号』ディケンズ・
フェロウシップ日本支部、2007)参照;下記サイトで読める。‘the eye of a hawk’はインターネット上の
「ディケンズ・フォーラム」2006年11月12日掲載(The Dickens Forum, edited by Professor Patrick
McCarthy of University of California, Santa Barbara
)。‘a seeker after the truth’ は電子メールの私信で。http://wwwsoc.nii.ac.jp/dickens/bulletin/bulletin.html
「『真実の探求者』(‘a seeker after the truth’)」と言ってくれた人はThe Letters of Charles Dickens. 12 vols. (Oxford: Oxford UP)の編者の1人、Margaret Brownさんです。

注2、英国で使った英語のいくらかを文中に書き記したが、書籍に記す限り、誤った英語を載せるわけには
いかないからネイティブ・スピーカー(Laura Thompson; Nashville)の校閲を受けた(ただし、責任はすべて
筆者に属します)。これらの英語のほかにもっと多くの英語を使ったわけだが、通じにくいときには言い換え、
言い換えしたし、対話の局面ではおのずと世界共通語の“body language”を使うことになる。ちなみに、
ロンドンで出会った日本の若者はイタリア、フランスを経由してロンドンに来たのだが、かれに
「イタリア語できるの?」「カタコトの英語とジェスチャーでいけますよ」若い人にはかなわない。



自費出版の弁 (記2005.6.8)

 私はこれまでに4冊の著書と1冊の復刻書(the Stonehouse Catalogue)を出しましたが全て自費出版です。自費出版の場合、通常は販売までも個人が責任を負わなければなりません。先月出しました Revivalism and Conversion Literature も同様で、注文書籍は自分が引き取り、販売することになっています。ただし、私の出版物の中で、復刻書を除き、他の3冊はすべて出版社がついていますが、復刻書には出版社がついていません。これは以下の理由によっています。少し長くなりますがご辛抱ください。

 私はアマチュアの立場で勉強を続けてきたわけですが、正直申しまして、私のような立場で外国のことを研究しますのには非常な困難が伴います。先ず第一に、資料の入手が容易でないからです。所属機関をもたない私には、論文一編入手しますのにどれほど困難が伴いますことか・・・。もっとも、私自身、好きでやっていることですから、そうしたことは当然甘受しなければならないことは言うまでもありませんが、そのような環境下にあっても、何とか今日までやってこれましたのは、善意ある多くのライブラリアンに出会えたことや、私のような者でも、励まして下さる方々がおられたからです。この機会に謹んでお礼を申し上げる次第です。

 さて、資料の収集ですが、先にも記しましたように、所属機関がないものですから、資料のすべては自分で調達しなければなりません。僭越なことで申し訳ありせんが、そのような立場ですので自然、収集資料も多くなってしまいます。良い論文を書きたいと願えば、時には高価な書籍にも手を伸ばすことになります。一冊の本を買いますのにどれほど逡巡することがあったことでしょう。その一つが"the Stonehouse Catalogue"だったわけです。論文を書きますのに不可欠でしたので思い切って購入することにしました。随分躊躇した末のことです。入手してみますと、素晴ら しい本であることが実感されました。このような貴重な基本図書がなぜ絶版のままなのだろう、と疑問に思いました。あれこれ思案しました末に、復刻することを考え、幾つかの手続きを踏みました。だが、いつのときも言えることですが、事の進捗は容易ではありません。復刻のために、出版社には5社ほどに当たりましたが、返答のすべてが私の手の届く範囲ではなかったのです。そこでまた考え直しまして、価格を抑えるために配送等の責任はすべて私が負うことにしたのです。

 こうして復刻本が出来上がってきたわけすが、早速、この書籍を購入して下さいました英国のある学者は "ridiculously cheap" と言って下さいました。本当に有難いことでした。
 
 本書につきましては『英語青年』で広告を出しました。自費出版本の広告は決して珍しいことではありません。経験者ならおわかりでしょうが、自費出版すれば、大新聞の広告代理店が広告の勧誘を熱心にしてきます。私の場合、九州の読売新聞と朝日新聞、近畿の産経新聞などから勧誘を受けましたので、誘われるままに、実際にその3紙に拙著の広告を出しました。『英語青年』での広告はその経験に立ったものです。