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チャールズ・ディケンズ博物館の元館長デイヴィッド・パーカーさんを偲んで
To the memory of the ex-curator Dr. David Parker of the Charles Dickens
Museum
寺内 孝
Takashi TERAUCHI
昨年末、デイヴィッド・パーカーさんに‘A merry Christmas …’を送信しましたが、‘temporarily suspended’で受信されませんでした。その挨拶は次の経緯で、2005年にパーカーさんが始めて下さったものです。
カリフォルニア大学名誉教授パトリック・マカーシーさん運営のディケンズ・フォーラムで、2004年12月に僕のストーンハウス・カタログの復刻本が紹介されたのが縁で、パーカーさんと‘メル友’になりました。その後いくらかのメール交換があったあと、翌年5月、パーカーさんは次の一文を含むメッセージを送信してくれました。
I suspect you and your wife are in the position of me and mine. We are both sixty-five this year, me on Saturday. Then I shall become an official retirement pensioner.
言うまでもなく僕は‘素浪人’、そんな僕に親愛あふれるメッセージを寄せて下さったことに非常に感銘しました。ご夫妻は僕と同年齢、共に幼少時、戦禍に泣いた世代。禍の差に天地の開きがあるとはいえ暗黒の時代は同じ。深奥にどこか共鳴しあえるものを感じました。
このメール後の12月24日、パーカーさんが‘A merry Christmas …’を寄せて下さったのです。またもや感激し、次の年からは僕が先行しました。こちらは9時間早いですから。この定期便の他にもいくらかのメール交換があり、その都度パーカーさんの暖かい人柄に触れ、ますます畏敬の念を深めていきました。そして昨年末の定期便は上述の通りです。心配だったものですから複数の人に消息を聞きましたが不明でした。
そして年明けの2月5日、まさかの凶報、ディケンズ・フォーラムと松岡先生からのものです。衝撃とともに深い喪失感に陥りました。いつか話しかけてみたかったし、教わりたいことは山ほどあったのですから。
話題を2005年に戻します。上記引用のメール文は‘I suspect’で始まっています。僕のことが、人を介してパーカーさんに伝わるなんてことは考えられません。なぜ‘suspect’なのだろう、と暫時疑問に思っていたのですが、ふと思いつくことがあり、古い資料を調べ、DICKENS QUARTERLY (December, 1991)を見つけました。本誌に、ノートン版『ハード・タイムズ』(Second edition, 1990)の書評があり、その掉尾に謝辞、‘Note: I am grateful to Dr. David Parker of the Dickens House Museum, […], for help in locating rare materials for this article.’が記載され、その直上に‘Terauchi, Takashi. “For a Better Norton Critical Edition of Hard Times.”Studia Anglistica […].’とあります。この拙論(1982年)が、謝辞に記されている‘rare’の1つで、パーカーさんの介在があったのでしょう。僕はそれをディケンズ博物館へ送った記憶はありません。推測される1つの可能性は、故フィリップ・コリンズ教授が同館へ届けられたのだろう、ということです。これだけではまだ‘suspect’の理由とするには足りません。
もう1つ、やっと見つけ出したのが1枚の葉書です。‘The Dickens House 48 DOUGHTY STREET […] REGISTERED CHARITY NO. 212172’ で始まるディケンズ博物館発行のもので、日付は‘12 June 1995’、末尾に‘Dr David Parker, Curator.’確かにパーカーさんは1978‐1999年、館長職にありました。僕の問い合わせに答えてくれていたのです。
以上の2つしか心当たりはありません。おそらく‘rare’ゆえに記憶して下さり、‘suspect’になったのだろうと思います。
上記引用のメール文には続きがあります、‘Our son and our daughter are both grown up, in their thirties, […].’と。まったくスッピンの僕に、ご家族のことまで紹介して下さったのです。構えることもなく、威張るわけでもない英国ジェントルマンの鷹揚さに非常に惹かれ、以来パーカーさんは僕のなかで敬愛すべき心友となっていました。
そこに記されたご子息とご息女さんはパーカーさんの主著Christmas and Charles Dickens (New York: AMS, 2005)に献辞 ‘To Daniel and Michelle, Clare and Jonathan […]’ で登場されています。DanielさんとClareさんで、そのあとに記されているお名前はそれぞれの配偶者です。パーカーさんの心温まる情緒がここからも偲ばれます。なお本書の表紙裏に、パーカーさんの略歴が記載された紙片が貼付されてあり、その末尾に「39年間連れ添った妻Elinor Parkerは歯科医で、British Dental Journalの副主筆の経歴あり」。この奥様が今年2月2日、パーカーさんの最期を看取られ、その訃報を南アフリカのヨハネスブルグから英国へ伝えられたのです。ご一家は旅行中であったようで、前日の昼食時、パーカーさんは突然卒倒されました。
パーカーさんは親日家で、訪日を切望されていました。その日がきっと来ると信じていたのですが、こんなに早く逝ってしまわれるとは。今となればパーカーさんの励ましの言葉‘Keep up the good work.’を感謝の念を持って想起し、遺徳を偲ぶよすがとしよう。
パーカーさんの業績は、ロンドンのキングストン大学のサイトで知ることできましたが、今は閉じられています。 合掌
March 11, 2013
付記
拙著 Charles Dickens: his last 13 years (ブックコム、2011)は4論文の集成です。第1は'Dickens and Gad's Hill Place'で、フェロウシップの会誌『年ぶ報』(November 2007)に掲載されました。パーカーさんはこれをお読み下さり、「一つ誤り。グロスター・クレセントとタヴィストック・ハウスとの距離が近い、というのは正しくない。速足で歩いてもたっぷり30分はかかかります。ディケンズとキャサリンとは、それぞれの家の近くでばったり出くわすなんてことはありそうもなかったのです。」
僕が拙著で 'near' と書いたことに対する忠言でした。このご指摘を頂きながら、ぼくは、またもやつぎの論文で同じ誤りを犯しました。これに気づきましたのは、この「パーカーを偲んで」を書いているときです。天国のパーカーさん、御免なさい。
パーカーさんの英文を添えておきます。
One
error. I don't think it really
makes sense to say that Gloucester Crescent is close to Tavistock Square. It's
a brisk walk of at least half an hour. Dickens and Catherine were unlikely to
bump into each other in their respective neighbourhoods.
この付記は2013年9月4日に書きました。